認知症改善のリハビリには、アロマセラピー

  • 2018.12.13 Thursday
  • 16:11

12月12日 晴天 気温24度 カイルア(ハワイ)

 

 

 気温5度の日本を昨晩出発して、気温24度のホノルルのダニエルK イノウエ国際空港に着くといつものトロピカルの空気が鼻腔をとおった瞬間から肩の力が抜けるようにリラックスモードにスイッチが切り替わった自分がいた。

これは、誰もがハワイに来ると感じるのは間違いない感覚だ!

 

 今年2回目のハワイ旅行の母の為に、なるべく快適な空の旅ができるために機内では、ミュージカルな好きな母には、ヘッドホーンをかけてミュージカル好きの母にママミーアを楽しんでもらい、フライトで欠かせないネックピローと機内用のスリッパに履き替えてもらい軽く、夕食後に安眠アロマセラピーブレンドのオイルで首と肩のマッサージをして、安眠機内モードの母と私は、7時間のフライト時間軽く安眠も取れて快適なフライトを楽しんだ。そして、ゆっくりしか歩けないので、母には車椅子を頼んでいる。これは本当に素晴らしい航空会社のサービスでエコノミーでもVIPなみのドアートゥードアー(カウンターのチェックインから通関全てエスコート付)のサービスには、本当にありがたく空の旅のストレスを半分にしてくれました。

 

 ここで、私の母の病状と心身の健康状態を初めて読んでいる方にホリスティック的にご説明します。

母は、現在78歳私を26歳の時に産んで、父とはその後私が8歳の時に父の不倫が原因で離婚を5年間の家裁をへてドロドロの離婚騒動の中離婚が完了しました。

 母は、岩手県宮古市出身、10人の子供を産んだ105歳まで生きた私の祖母の38歳の時の娘、下から2番目昭和15年生まれです。祖母の妹が九州で結婚をしたのですが、子供に恵まれず母を養女に生後間もなくして出していて、その後戦争になり九州は政争の空襲で危ないので疎開かねて宮古市にもどり、10人家族の中でも自分だけ何故養女に出されたのかと孤独感を感じながら生きてきました。

 そんな母は、自分が一番になり注目を浴びるのが大好きで、中高と体操部のキャプテン自称女番長だった。

18歳の時に東京の代々木にある山の愛子美容学校に入学し、三宿に住み、新宿のバーで父に一目ぼれ二人ともその後相思相愛になりデキチャッタ結婚を母が24歳の時にしました。

自立心が強かった母は、私7歳と姉9歳の時にヨーロッパ研修旅行を1か月ほど行き、その間に父は、経営する病院の常勤の若い看護婦さんと不倫に落ちてしまった。(その後、母は、美容院と喫茶店(夜はカラオケバー)を運営し自立した生活し、娘二人を私立の学校に中学生から行かせ、姉は大学に行きそして私は、留学をさせる位母は、離婚後は365日働いていた。

 そんな、母は父をとても愛していた。夫婦相思相愛だった二人、結婚8年目子供も2人恵まれて幸せだったはずのこの夫婦は、元来のプレーボーイの父の不倫が、発端で不倫相手が【結婚しないと自殺する。】と父を脅迫し、相手のご両親が父の病院にまで来て、私と姉もその場にいて父の姉夫婦が仲裁にはいり、怒りと悲しみ感情の渦まきの中私の記憶では、何故だかわからないけどお父さんがいなくなってしまう悲しさが込み上げてきて、ずーと涙が出て苦しくて咳がでてその後から気管支炎になるほど泣いてしまったのを覚えている。その時来ていた姉とおそろいの紺色のウールの半袖の赤いリボンが付いているワンピースそして母も悲しみの渦の真っただ中で泣いていて、父は下を向きながらずっと無言のままでいた記憶が鮮明に残っている。

 記憶の中で話し合いをしていたのは、父の姉夫婦と不倫相手のご両親だったのを記憶している。その後父は、全てを捨ててフランスパリに疾走し1年後に日本に戻り、母はその間、警察に疾走願いを出して、3年出てこなければ父は死んだ者となり、戸籍から消えるから必ず3年以内戻ってくるからと言っていたのを記憶しています。そして1年して帰国した父と家裁で話し合い、その後離婚は5年後に成立した。

結婚後15年目、母39歳で離婚手続きが完了した。しかし、その後母は父以上に愛する人に出会わず、再婚はしないままでした。

(物心つく頃から私は、結婚=苦労という数式を理解し始めていた。)

 元来の健康な母の身体は、宮古で小さい頃から家で放牧していた牛の牛乳を毎日の飲み、新鮮な自家栽培の野菜と目の前の三陸の海でとれた魚介類を食べていたからであり、体操部キャプテンだった母は、体も柔軟性が高くかつ筋力もある、私とは真逆の体質だった。(私は、父の体質)つまり母は、出産のとき以外は、病気とは無縁の元来の健康遺伝子と狂人の精神力で済め手をやり通す人でした。

長年運営していたカラオケバーで毎日ウィスキーなどを飲んでも、どこも悪くならずにいた母でした。。

唯一、弱いところは、幼少のPTSDの孤独感だ。娘たちが成長し、ずーと一人暮らしだった母は、姉が出戻りで母と同居をし、これが実際にはわが家族の癌であり、姉の娘を姉が外で遊んでいる間赤ちゃんの頃から小学校の3年生辺りまで育てたのも母であった。お店を60歳で閉めてから、一人でも友人と趣味のお三味線と小唄そしてスキューバーダイビングを楽しんでいた母は、アパート経営で生計をたてかつ貯金上手だったので十分な蓄えもあるはずだった。しかし、74歳の時(2014年)、お三味線の先生が亡くなり、仲良くしていた友人も癌でなくなり、ばたばた周りの人たちが毎月の様に亡くなってしまったのです。それが、原因でもともと飲める母は一人で深酒が続き、姉は家に戻っても母には無関心、母が泥酔している合い間に母の貯金を蝕むだけの姉、そして小学生の孫だけが心配しているだけだった状態が続いていました。何度も階段から落ちて血をながしても姉は、何もせずにいたのです。母のお金が無くなるとともに姉は、再婚をし家を出て行き、また一人になった母は、泥酔する日々頭から転び、一人で自宅のドアのガラスにぶつかり、頭から血を流して倒れている所へたまたま母の妹が訪れてくれて私に電話があり、急いで私が駆け付けると体中転んであざだらけになり頭から血を流している母が1階の居間のソファーベットで寝ていたのです。

(この時に脳の小さな血管がきれてしむ一過性虚血脳血栓になっていたのです。)

そして、その間、姉が貯金通帳をとって行きかんぽ保険があったので通帳は、マイナスの数字になっていたです。

 母は、大丈夫だと思い込んでいた私は、自分の仕事と父の介護で頭が母のケアーに行かなかった事を後悔した。しかしこの時現実を見て、母一人で私達を此処まで育ててくれた恩返しをしなくては、と一心に心を決めて計画を立てました。そして、母の独立した一人暮らしが母らしくできるように心身の強壮をするリハビリを計画いたしました。デイサービスを週に4回、ヘルパーさんとボランティアのお話相手をする人など、あるとあらゆる公共のサービスを使用して母の一人の時間を少なくしました。

 18歳で私は家をでて、いつも家族とは自分は違うリズムと価値観で生きてきたので同居は不可能だと確信し、それでも、大切な母を期間限定で母のリハビリを定期的にプロフェショナルな目と娘の愛との双方を兼ね備えて行っていく計画にする事で、介護の共倒れを防ぐことができると考えていました。

 一緒にいてストレスを感じて生きて行き家族がそれぞれストレスで病んで行き、近年ニュースなどでも非常に悲しく不幸な結果を生み出しているの日本です。これは、昔からの日本の社会的価値観で親の面倒は同居という固定観念が生み出した悲劇と社会的現象です。

 

このような悲劇を生み出さない為にも、親との同居の罪の意識は開放し、私は母とは、期間限定のリハビリを母が生きている限り行う事にしました。

 この結果、ケアーマネージャーやデイサービスの人もびっくりするほど、寝たきりでおむつをしていた母が、飛行機乗りハワイに暮れる位の体力ができるほどになったのです。このケアー方法は、きわめて簡単、規則正しい生活と軽い運動そして励ましの掛け声、そして一番大切なのが母用のパーソナルブレンドのアロマセラピーケアーでした。

 

 先ずは、母のケアーに集中して、新陳代謝を高めるブレンドオイルを塗布して毎日欠かさず全身に優しく刷り込むように優しいアロマセラピーマッサージをしていきました。

長い時間うつ伏せが無理なので15-20分ほどの間の優しいタッチのマッサージを朝晩2回しました。

寝たきりになってしまってオムツをしていたので、認知症にもなってしまったので、脳を活性化するエッセンシャルオイルのブレンドのカプセルを母に1日3回飲んでもらい。後は、お酒を断つ約束をしてもらいました。これが一番の問題です。

お酒は、依存性がたばこ同様あるので、認知症にもなっていたので、理解力が乏しく、本当にこれが忍耐と継続の連続で我慢してもらいます。初めは、寂しさと時間を持て余す気持ちを紛らわすために飲んでいたお酒が、習慣になりそして知らない間に依存していき、毎日飲まずにはいられない精神状態と身体状態に陥って行きます。

 気をそらすのが一番なので、マッサージをしたり、ストレッチをしたり、後は、1週間に4日間デイサービスに通ってもらい飲む時間を=テレビをみる時間を減らしていったのです。

後は、お酒の代わりにノンアルコールビールに変えて飲んでいる気分にしていきました。

後は、クラリーセージがお酒の依存を解放していくのでこのハイドロゾルと肝臓をケアーするハイドロゾルの入ったブレンドを作り、お水に混合して飲んでもらいました。1年ほどこれを頑張って、毎日継続していたら、ゆっくりシルバーカーを押しながら2-3キロ歩けるようになり、記憶力も、メモをしたり、日記をつけるようにしてもらい少しづつもどってきて、簡単な会話ができるようになって行ったのです。

 

 母は、長年の喫煙と飲酒により嗅覚が、弱まり、60代から嗅覚機能が衰え、(初めの認知症の兆候は、嗅覚と聴覚が衰えて行く事です。刺激物(アルコール・たばこなど)を飲んでいると60代から正確なに香りが嗅げず、音も聞こえない音が出てきます。)今では、ほとんど香りは嗅げないのですが、エッセンシャルオイルの薬効を経口経皮から吸収する事で効果を引き出すことができたのです。

 

 認知症になると、脳内のニューロトランスミッターのセラトニンとドーパミンの分泌が悪くなりじっとしている我慢ができなくなったり寝つきが悪くなったりで、じっと座っていたりするのが難しくなる人が多くなります。長い間高齢になって眠れなくなるのがその兆候です。若い時には、10時間しっかり寝ていたのに、段々とホルモンの分泌が悪くなり長時間継続した睡眠をとれなくなります。またその他の原因として、ストレスや興奮状態にあるとドーパミン方になり眠れなくなります。

母は、安眠用のアロマセラピーのヘッドマッサージをするとセロトニンとメラトニンのホルモンの分泌が高まり、ぐっすり8時間継続して次第に眠れる様になって行ったのです。

 昨年は、約1年間アメリカのグリーンカード(永住権)を拾得するために、日本に帰国できずに母に合えずにいたので、少し認知症も進みかつ運動能力が低下してしまいました。その為に、今年は、この2か月で少しでも母が母らしく母の寿命の最期まで生きられる様にリハビリをハワイのカイルアにて行います。

 

【リハビリプログラム】

  .好吋献紂璽襪箸靴討蓮朝のヘッドマッサージと背骨のマッサージそして足のマッサージを

   15-20分ほど着替える前に行います。

   (オイルが身体に経皮投与で浸透するのに最低限必要な時間5-20分)

 ◆…食前に1mlの脳活性カプセルを1個グラス1杯の水でしっかりと飲んでもらう。

  カイルビーチパークで朝のストレッチと散歩約60-90分ゆっくり焦らずにお休みしながらマイペースで行います。

 ぁ.薀鵐舛料阿烹隠蹌譴稜廠萓カプセル1個グラス1杯の水でしっかりと飲んでもらう。

 ァ.廖璽襪之擇な發練習10分程度。ジャクジで2-3分頭りながら筋肉をほぐす。

 Α.廖璽襪ら上がってから、リラックス用のマッサージオイルで背骨、腰・脚・足を中心にマッサージする。

 (着替える前のタイミングがマッサージのするタイミングです。認知症になると着替えが通常より困難になるのでタイミング見計らって行います。)

 А〕漆前の脳活性カプセル1mlをグラス1杯の水でしっかり飲んでもらう。

(夕食は午後6時までにとると寝る前に消化して胃腸に負担がかからずに質の良い睡眠がとれます。)

 ─〔8時半までにベットに横になってもらう。寝る前には、

   安眠用オイルでヘッドマッサージ、足の循環と神経の活性用オイルでリフレクソロジーを行います。

 

 以上8個のステップを根気強く忍耐強く行います。できなくても、出来てもできるだけ毎日のルーティーンになるように同じような時間に行う事で体内時計をリセットしていきます。お食事は、新鮮なお野菜と果物を中心に献立を考えて行きます。(コールドプレスのジュースを飲んで足りないビタミンとミネラルを補給してもらいます。)認知症になる人の体質の特徴として、高血圧・高コレステロール・高血糖症がありますので、お食事の献立は、砂糖を使わずに、減塩食そして高蛋白質・ビタミン・ミネラルを豊富な食事を揃えます。勿論、余り制限するとストレスになるので好きな物を食べたい時に少量たべるのは大丈夫です。

 

二か月かの成果を皆さんこうご期待!

 

リハビリに必要なオイルは、5点…用活性用と¬詬儖駄架僖悒奪疋泪奪機璽戸僉ΝD用の新陳代謝活性・ぬ詬僖螢薀奪ス用全身マッサージオイル・そして一番大切なデ召虜挧Δ魍萓するサプリメントカプセルブレンドを毎日使用していきます。

 

母は、2日目にして既に進歩的な効果で、階段を一段づつゆっくり下りていたのが左右の足を交互にして普通に上がり降りができるように脳が指示できるようになりました。そして、カイルアビーチパークを2キロほど42分ほどかけてシルバーカーでゆっくりビーチに海を見にいったりしながら、歩けるようになっているのは、寝たきりの2年前からは信じられませんが、まだまだ少しづつ後2か月で安定した歩き方が少しでもできるように、散歩や水中歩行、ストレッチしながらアロマセラピーマッサージを毎日してリハビリをします。

 

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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