振り出しに戻った、母のリハビリ!

  • 2019.12.11 Wednesday
  • 13:09

12月12日 木曜日 気温9度

 

 ハワイアン空港の飛行機のタイアが滑走路に降り立つ瞬間頭の後ろから野球のバッドで殴られて、ノックアウトの気持ちで羽田空港に着陸した私だった。

 

肌に突き刺さる様な寒さを感じて、母がショートスティー先から戻るのを待った。

母の難聴用に取り付けた音高いインターホンの音が脳をさすように高鳴り、ドアを開けると、母が車椅子に乗り車のバンの後ろから降りてきた母は、90歳になったかのように

歳をとって見えた。

私が母に【お母さん、歩けるでしょ。】と言って手を取ると母は、私の目を見て

不安そうにうなずき、車いすから危ない足取りで立ち上がっり、家の玄関に入った。

確かに、何時もの足取りより可なり弱弱しく歩いていた。

 

母は、お酒の飲み過ぎで2日間意識が戻らず2週間病院に入院したのであった。

 

 ハワイから帰国後1か月ほどたった11月初め頃に、母の昔の悪友が、母に遊びに来て、多量にお酒を買ってきてしまったのだ。

 

母のお金をそしてくすねて、それっきりだ。

 

私は、ハワイでその知らせをケアーマネージャーから聞いて、涙が出るほど、悲しくてオロマの山脈の夕日を見ながら、

ジョンに帰国を早急に考えてるが、ジョンの家族と

の日本旅行からハワイに戻りまだ1週間も経過してなかったので、病院に電話してから決めると伝えた。

 

時差が19時間あるので次の日に、母の医師と話すと、

【数字的には、検査結果はどこも悪くなく健康なんです。認知症のテストをしたのですが、初期の認知症の症状がありますが、どこも特に悪い所がないので、お酒の解毒処置をすれば、1週間で退院できるでしょう。

ただし、今後一人暮らしが難しいので、施設に入る事をお勧めします。】

 

お医者様も命に別状が無いと言う事だったので、従妹に入院手続きをお願いして、既に飛行機のチケット購入していたので日にちができず、帰国を予定とうりにした。

 

現実、ハワイは、11月第三週の木曜日がサンクスギビングでジョンのお母様も84歳なのでお手伝いや、

ジョンのお父様のアルツハイマー型認知症が日本旅行中悪化し、そして義理の母のバーティゴと言う眩暈の発作がそのストレスの為、出てきてしまい、

病院に付き添ったり、義理の両親のケアーで毎日忙しく過ごしていた。

(このアルツハイマー型認知症の症状は、次回のブログで書いていきます。通常の母の様な認知症と異なる症状です。)

サンクスギビングの日のお庭からのツインアイランド

その後、母は、ショートスティーをしたのだが直ぐに発熱を起こしたので、また入院してしまった。

尿道炎と肺炎で微熱がでていた。

草加私立病院での処置が悪く、尿道炎になったのだ。

この私立病院は、電話の対応もとても不親切で母の治療が点滴が外れて余り無いので、

個室でないと対応できないと言われた。これは、完全に治療費稼ぎの理由でしかない。

 

その乱暴な看護婦さんの治療不慮の為、草加市立病院は、責任を認めたくないのか、母の入院を拒否し、違う病院に入院しそして、1週間後に退院した。

武南病院に電話すると、今度は看護婦さんが丁寧に母は、既に微熱も治まり、お食事も召し上がっているので、1週間ほどで退院ですと

説明を受けた。

 

高齢者の日本の病院の受け入れは、可なり厳しく、薬代と治療代がかからない場合は、受け入れを拒否する。

父が間質性肺炎の発作呼吸不全になった時、救急車を呼んで病院の受け入れ先を探すのに1時間も救急車の中で

待たされた。私は、その時東京の赤坂に住んでいて、周辺には多くの病院が存在しいたのに、結局日赤病院の

救急が入院しないのであれば、診ると言われてやっとの医師の診断を受けたくらいだった。

この時、私の精神状態は、可なり不安定だった。救急車の中で父の生命の危機を感じて涙が滝の様に流れてきた。

そして、父が他界後も、救急車のサイレンの音を聞くと、STD(トラウマ)で心臓高鳴りと呼吸が早くなり、酸欠状態になっていた。心を安定させる香りを持ち歩かないと外出できなかった。

 

香り高い私のコレクションの一つカトレア、今では22種類のランの花々をハワイで栽培

この時から6年が経ち、私の心は楽園ハワイにナチュラルrな香りに癒され続けている。

 

 母と2人で話すと、施設では歩くと危ないから、歩かせて貰えずに辛かったと言って、家では、また

衰えてしまった足腰を鍛えたいから、歩きたいと言って、近くのクリニックまで、以前よりも弱弱しげだが

確かな足取りで頑張って歩いて、介護通知を市役所に提出してくださいとお願いしに2人で言った。

 

12月の冬の空は、低くそして冷たい。

 

母に、16日からハワイだから、また頑張ってリハビリしようと励ますと、

ニッコリ笑い。【頑張るわ。】と言った。

 

そうはいっても、母の食事の量も、以前の3分の1で食欲も、体力も可なり低下してしまった。

鶏がらを買ってきて、圧力鍋でニンニクや玉ねぎ、生姜を入れて鶏がらスープを作り、牡蠣のスープを作って

少しでも栄養がつくようにした。

 

そしてその日からまた毎日、ヘッドマッサージをアロマセラピーの脳活性オイルで5分ほどして、

背中と脚のにも、循環器系が活性されるオイルで優しくリンドドレナージュのマッサージをした。

落ち込んだ母の気持ちを高揚し、脳を活性するアロマセラピーカプセルのブレンドを1日4回飲んでもらった。

 

このカプセルのブレンドのおかげで、10月5日に母の、身体検査をした時には、

HDL、中性脂肪のコレステロール値も血糖値も尿酸も全て正常値にもどり、アロマセラピーのエッセンシャルオイルは、成長ホルモンや女性ホルモンを活性させて骨粗鬆症にも効果的!

母は、2年前に左禅話を骨折したのですが、このブレンドで骨密度も正常です。

そしてかかりつけの高木医師にも健康になりました。と褒められて、自信をつけていた母だったのに・・・・

 

11月11日にスゴロクの振り出しにコロコロコロンとそして、締めくくりは、歩かせてもらえなかった3週間で 

ガッガッガーンと投げ出されてしまったのだった。

 

私が、母に、【ハワイでまた2か月振り出しから始まりだね。】

 

と言うと、母は、意外にも、

 

【そうでもないわよ。まだ歩けるし、お酒も飲みたいと思わなくなったから!】

 

 

私は、母に

 

【それが一番良い。お酒のせいでこうなったからね。】

 

そして、病院の社会福祉の人に母の今後一人暮らしは、難しいと言われてしまい。

私自身が、母の今後一人暮らしが難しい事を知らせれた。

 

そこで、母の生まれ故郷の岩手県宮古の幾つかの施設を調べて、申込用紙を記入した。

電話で説明を受けた限り1年位は、待つとの事なので、申込用紙だけでも郵送しておけば直ぐにでも

ないので良いかと思い、母がまだ歩けるうちに入所した方が、入所も楽にできるので、良いかと考えた。

2014年に母が倒れた時も同じように考えて、母と2人で宮古に行ったが、母が自宅に戻りたい

と希望したので、頑張って一人暮らしが出来る様に母が頑張って、5年が過ぎた。

そして79歳を前に、常時飲み薬もない健康な状態になったはずだが、いたって一人暮らしの自信がなくなってしまった。

 

【田舎の施設に入っても良いかもね。】

 

と母は、言い出した。

 

私は、【まだ一杯だから、空きが出たらでは、施設に入ろうね。1年待ち位らしいから。】 と説明した。

 

私は、一人落ち込む心を癒すために、瞑想を心を安らげる香りの香水を作りした。

 

私の人生と、母の人生が一体にならない様に、大切な母だが、母の人生と私の人生は一体ではない事を

マントラの様に唱えて、自分の人生を自分らしく生きる為に香りと共にした。

 

父の介護の時に、介護生活にどっぷりと入り込み、自分と父が一体になるくらい頑張ってしまい。

うつ状態になってしまった自分がいた。

 

父が亡くなり、自分もこの世から亡くなりたいと何度となく心に感じてしまった自分がいた。

 

それではいけないと、心の声聞き、自分の幸せを見つける研究に没頭して、

【人間行動学のバイオロジー】を理解して、幸せになる為の香りと自分の一生涯の幸せを見つける方法を見つけたのだ。

そして、私は、今が53年間生きて生きて一番幸せだと心から感じている。

そんな自分の脚を引っ張る、昔の自分を打ち消すためにも、自分の幸せホルモンのブレンドの香水共に瞑想をした。

 

すると、3日もすると、母と私の人生が2つに分かれて、心の焦燥感が冬の寒さで落ちて行く落ち葉の様にすっかり

と落ちて行った。

 

アロマセラピーと瞑想は、自然体の自分に直ぐに気が付いてする事で自分を回帰してくれる。

 

ヒーリングは、気づきから始まる。

 

ゆっくりと心が落ち着き、そしてハワイカイルアに戻れば、また極上の楽園に心身がぴったりとはまって行く。

 

私の中学からの親友が、母の話をすると、50/80問題だ。

日本人の50代が抱える、人生の課題。

 

多くの人が、親の介護で自由を束縛されている。

親の介護は、やはり自分の自由が存在してないと、多大な後悔と心身の健康を失ってしまう。

 

親の介護にやりがいを見出しても、それは自分の人生ではなく、介護と言う親の人生に巻き込まれて行く人生になる。

 

そして、親が亡くなった時に、自分が腑抜けの様になり、鏡に映る自分の姿と親を重ねてしまう。

 

その後、幸せも求めて、10年前に手が届いていた幸せに手が届かなくなっている。

 

何時までも、若くなく今を生きるには、自分の人生を自分らしく生きて行かなくては、自分の精神が辛くなっていく。

 

高齢者社会の基本は、自分の人生を幸せに生きる事だ。

 

ハワイのシャングリラ美術館の天井で瞑想

新たな、2020年に向かい、自己のホルモンのバランスを香りを通じて整えて行く瞑想をしましょう。

 

そして自己のホルモンのバランスを整えるカプセルを飲用して、自分の自然体の行動パターンに回帰していきましょう。

 

ご希望の方は、info@argutha.com までお待ちしております。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

 

 

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