長期的記憶の回復と死への恐怖の開放

  • 2011.12.26 Monday
  • 08:59
 

1226日(月曜日)晴れ 長期的記憶の回復と死への恐怖の開放 

父が真夜中うなされている。【パキスタン】を連発した後、私がベットへ行って大丈夫と聞くと、目を開けて【ドラストヴィチア、ドラストヴィチア、ドラストヴィチア】と連発して叫んだ。そして【こんにちはというロシア語の意味だよ。】と教えてくれた。父は、1936年満州生まれて、祖父が満州鉄道の重役さんであったため、英才教育を受けていて中国語とロシア語を10歳までぺらぺらに話していたが、帰国後忘れてしまっていた。私も1度も父がロシア語を話したのを見た事が無かった。あまりにも語学が堪能であったためロシアの総監が父をモスクワに連れて行って英才教育をしたいと、祖父に申し出たそうだった。【あの時、連れてかれそうになったのに、親父は断ったんだよ。俺を渡さないとね。】父は、安心して私に説明してくれた。第2次世界大戦中に生まれて、父は氷川丸にのって着の身着のまま満州から戦後戻ってきた。戻ってくる間にとても怖い思いをしたそうだ。【家に突然中国兵押し入ってきて、機関銃を向けて撃ってきて、俺達は、もう駄目だと思ったんだが、親父が馬車2台ほどの大金と調度品を渡して免れたんだよ。】と説明してくれた。とか【禁止城に入り込んで迷ってしまって、家に帰れなくなったてた所を親切な中国人の人が帰り道を教えてくれたんだよ。】祖父は、とても裕福だったそうだ。家にはスケートリンクがあり夏はロシアの避暑地でホテルを貸し切って過ごしていたとか?【東条秀輝が、お茶をしに来てたよ。】などと次から次と父は、10歳のころの記憶をたどるように話してくれた。そして、死に対する恐怖があることを私は、感じた。父は、また【小児結核になり姉から感染して殆どの人感染して行き命を落としたんだ。自分は何とか回復したから俺は、運が良いんだよ。大丈夫だよ。】と説明してくれた。その晩、父がまた、うなされて私を【おーい、おーい、おーい】と呼んだ。私が、父のヘッドマッサージして、ロシア語で【スパコナイチーノ】お休みなさいという意味をネットで調べて言うと!即座に発音とイントネーションを訂正して【 スパコイナイノーチ 】と4-5回言い合った後! その後、静けさと父の鼾が【ガーガーガー】と聞こえてきて、私もひと時の静けさの中で深い睡眠へと入っていた。

長期的記憶の回想パフュームブレンド 10mlのヘーズルナッツオイル

オレンジ12滴 スイートマジョラム2滴 ホーリーバジル1滴 パチョウリ 2滴 ミルラ2滴 ネロリ3滴 ペティグレンワイルドフォーレスト6

死の恐怖感を解放するブレンド 10ml セントジョーンズワート

ローレル 3滴 ローズ 3滴 メリッサ 1滴 バレリアンルート1滴ネロリ1滴フランキンセンス3滴 タンジェリン6滴 

使用方法 :3回深く香りを直接吸引した後に、地肌や首の後ろにマッサージするように刷り込んで使用1日何回でも使用してください。

 LOVE&LIGHT,
MIDORI

Aromatherapy ICU 効果の証明された日!!

  • 2011.12.13 Tuesday
  • 08:23
 

1212日(月曜日) アロマセラピーICUの効果の証明された日!!!

今日は、朝から晴天で気持ちが良いあたたかい日だった。昨晩は寒さが苦手な父がショートステーから帰ってきて初めての夜!あまり寒がりもせず父は、私がアロマセラピートリートメントを気持ちよくボサノバの音楽を聴きながらすやすやと9時ごろ眠りに入った!その晩、2時に父は、大声で叫び【おーい!おーい!危ないぞ!共産党がくるぞ!大変だ!】と叫び続けていた。私はそれを耳にして2週間の静かな夜に感謝してラベンダーとカモマイルやブルータンジーの睡眠用のオイル自分と父に額そして首に塗りこみ眠りに入った。明け方4時にまたまた、父は【おーい】と私を呼び【お腹ぺこぺこ】と言った。そしてご飯が食べたいという父の希望で、私はご飯を炊いた。その間父の顔暖かいタオルで拭いた後ローズとフランキンセンスのブレンドでヘッドマッサージをして、肺用のブレンドで全身をマッサージした。父は、浅い眠りにゆっくりと入っていた。私が、朝食の用意をすると父は、【旨そうだね。】と母の田舎から送ってもらった新鮮ないくらご飯をスプーンで上手に救って食べた。父に私が、【今日は3時から山王病院でリハビリだから、頑張ってね。】というと父は、なぜか聞こえないふりをした。

午後1時半私は、お昼のアロマセラピートリートメントをしてからリハビリに行く準備をしようと戻ると、父は【あ!お帰り、ヘルパーに人が無理やり何でもかんでも口に入れるんだ。】とクレームをした。【それは、やだね。お父さん自分で食べれば今日から?】というと父は、【うん。そこ食卓?】と私がコーヒーを飲んでいるテーブルを見た。【そうだよ。夕飯は、ここで食べる?】と聞くと【うん、そうだ。そうしよう!】とゆっくり語りかけるように言ったので、ランチョンマットと夕食の支度をしてメモをヘルパーに人にした。

さてさてメモリーブレンドそして肺のブレンドを全身にマッサージした後の父はリハビリに赤いイタリア製のお気に入りのセーターを着て行くと!暖かい12月の日差しが父にも心身に浸透して【暑い、暑いから脱ぎたいと。】山王病院のリハビリセンターの入り口でセーターを脱いだ。丸顔の朗らかな高橋先生に父が挨拶をすると!先生は、父の余りにも凄い回復に【別人のようにお元気になっていますね。】と話しかけると、父は車椅子に座りながら頭を軽く下げてそれほどでもないかのように平然として、部屋に入った。1時間のリハビリは、横になりながらではあったが、父はずーと先生と自分の今まで17年間の仕事のし過ぎでこういう結果になり、始めは凄く怒りっぽくなって喧嘩ばかりし始めそして、肺炎が苦しくなって入院したんだなどと明確に記憶をたどって説明していた。先生は、以前の父はリハビリ中ただただ目を強くつむり体を硬直して拒否の連続だった父とは、全く違う事にうれしそうな笑いを浮かべながら父の話を聞き続けた。私は、近くに座りながらその会話を聞いていると、先生が父に【毎日家では、座ってる事が多いいですか?】とか聞くと父は、【いや。】と答えて【横になっている事が多いのですか、座っている方が腰が延びて良いですよ。】とアドバイスをしてくれた。その後、先生は【その他家では、何をしているんですか?】と聞くと父は【ただ呆然としていますね。】と答えた。あまりにもそのままだったので私は、横で笑いを隠さずにいられなかった。父は、その後、ボウルけりを5ml左右の足の使い方を練習するのを2回ほどして、マット台のうえに寝ながら両足で膝を90度に曲げて先生の肩に足をかけてそれを腰を上げながら押したりのマットレス上の運動して、横に足などのマッサージを向後にいれて休み休み続けてから、最後に20mlほど歩いてその日は、かなりの回復力を発揮してくれた。次は水曜日のリハビリは、背の高い優しい笑顔のメガネをかけている小川先生だったので、高橋先生には、あまり大きな声で話さないようにと念を押して帰った。

これは、本当に父のアロマセラピーICUの成果の証明だった。西洋の薬は、一切取らずにここまで119日の退院から回復した父を私は、本当に嬉しく思った。その晩は、父も嬉しかったのか、沢山の人に電話で良くなった事を話して、そして従兄弟の隆君にどうしても会いたいといったので、夜の9時過ぎに連絡が取れて来ても貰い。父は、永遠と話し過ぎてまるでコーマから目覚めて今までの自分の思いを話続ける可能用に話続けた。そして【1212日かぁもう!お墓参りに、今年中に行ってご先祖様をお線香とバラの花でいっぱいにしてお清めしなくちゃならないだんよ。あー後、年越し蕎麦は13500円の蕎麦たべないとなぁ!】と言った。【俺がおごるから皆に!】などと季節感もしっかりしていた。その後、お休み前のアロマセラピーマッサージをしていると、父は【今日は、話しすぎだね。】と自分でもびっくりしたかのようだった。寝る前には、私に気遣い、【起こさないようにするから、お水に氷とマンゴジュースをいておいてよ。】とたんだ。そしてその晩は、安らかな睡眠を私はしっかりととれた。ベットの中で、父の回復を神様に感謝してこのまま元気に過ごせるようにお祈りをして、私も父もその晩はローズとフランキンセンス・メリッサの心地よい心を安らがしてくれる香りに包まれて素晴らしい睡眠へと入って行った。

眠りとは、人生の半分近い時間を費やして行く時間で、人間が頭や臓器体を休める時間である。そして魂が自由になる時でもある生きている間なくてはならない時であります。

不眠症に効くオイルを是非皆さんご使用ください。使用する時には、必ず30日以上そして30分継続してこめかみ・額・首の前後・地肌に優しく刷り込みながら使用したり、お部屋に噴霧したり、入浴時に使用してください。

不眠症用ブレンドセラピュティックパフューム:

寝付きが悪い人用 10mlヘーズルナッツオイル

ベルガモット6滴・ブルータンジー2滴・ラベンダー12滴・ペティグレンワイルドフォーレスト8滴・シダーウッド2滴

夜途中で目が覚めてしまう人用 10ml ヘーズルナッツオイル

マジョラム12滴・マンダリンレッドピール15滴・カモマイルローマン3滴・ラベンダー3滴バレリアン3

眠りが浅い人用10mlヘーズルナッツ:

ネロリ3滴・メリッサ1滴・カモマイルローマン2滴・ローズ3滴・フランキンセンス4滴ラベンダー9滴・ペティグレンワイルドフォーレスト9

その他の症状でお困りの方は、お気軽にご連絡ください。

LOVE&LIGHT,

MIDORI

All of the life is sacrifice

  • 2011.12.09 Friday
  • 09:44
 

12月9日 (金曜日)雨

The Others

The apple tree gives away its fruit,

Keeping none : it lives for others.

The river washes all who enter,

Trading cleanliness for dirt,

Sacrificing itself for others,

Children, everything in this world

Teaches sacrifice,

Look closely and you will see

that all of life is sacrifice.

( by Messaes from Amma in the laungage of the heart )

全ての人生は自己を捧げる事であるというこの詩を何度となく思う日々が続きます。35年前の朝母が【今日は、学校に行かなくて良いから私のベットに来なさい。】と朝起こされて姉と一緒に私は、学校に行かないで母の大きなベットで皆で眠れる事を嬉しく思い、母の顔を見ると、涙でいっぱいだった。そして母は、【お父さんは、もう帰ってこないから、皆でここでずーと眠りましょう。】といった。頭の良い姉は、母に【ずーと?どうして?】と聞いた。【このまま、目を閉じて自殺をするのよ。】私は、母の言っている事が良く分からずそのまま聞いていると、ガス臭いにおいが部屋中していて気分が悪くなってきた。姉が、母に【お母さんは、沢山生きているから良いけど私は、まだ沢山したい事があるから死にたくない。】と母に訴えた。そして母は、その言葉を聞き我に返りガス栓を閉めた。私が、10歳の朝の出来事だった。その後母は、365日毎日働いて私達2人を私立の学校に入れてくれて育ててくれた。父は、大学になって自分の生計がたったのか?やっと養育費をその頃から払ってくれたのだ。ただ私の最後のカナダ留学生活の1年は、今の奥さんに子供が出来たからという理由でやはり母が払う事になったのだった。その父を私が、今重度の認知症介護そして鬱をアロマセラピーで改善している。この心の葛藤には日々疑問を持がいつもこの詩を読み【All of life is sacrifice そしてローズの香りを胸一杯に香り無心に父を受け入れマッサージをした。

明日で父との生活が1ヶ月になる。父は、1ヶ月でかなりの勢いで回復している。これは素晴らしい事である。父は、今では自分が良くなっているだと確信している。3日前からいつも目を閉じていたのが、目を開け続けられるようになった。そして足取りもしっかりとしてきた。私が、お父さん今日は何曜日?と聞くと首をかしげていて【水曜日だよ。明日は?】と聞くとまた考えるようだったので、【木曜日・そして金曜日その次が土曜日そして日曜日です。】そして私が、【さて今日は何曜日だっけ?】と聞くと【水曜日だよ。】とあたかも当たり前の事を効かないでくれという表情で答えてくれた。そして【お父さん今どんな思いがある?】と聞くと【不安だよ、これからどうなってしまうか・・・】私が、父に【大丈夫だよ。第二次世界大戦満州から生きて氷川丸に乗って帰ってきたくらい幸運がついてるから】父は、安心して【もう一回マッサージしてくれる?】と聞いた。私が、ローズのオイルで顔をマッサージすると父は、目を閉じてリラックスし始めた。父は、不安と自信喪失の毎日ではあるが、アロマセラピートリートメントと美味しいお食事を生きがいに父は、生きている。

不安と自信喪失は、恐らく多くの人が日々感じて生きているであろう。ただ左脳が働き理性でこの感情を抑制して日々生きている。父は、前頭葉と側頭葉が委縮し始めてしまい日々その思いが抑制されずに波のように押し寄せてきているのだった。そんな中毎日のアロマセラピートリートメントのひと時は、その思いが消えていくのである。

私は、頭にメモリーブレンド【バジル・グレープフルーツ・クンジア・ブラックスプルース・ローズマリー】を5-6滴使用してヘッドマッサージをしてその後、ローズのトリプルガッドオイルでフェイスマッサージをします。全身は、間質性肺のブレンドを使用してハンドマッサージ、胸・腹部・背中そして足のリフレクソロジーで終わります。この1ヶ月これを日に1-3回行い素晴らしい回復を見せています。916日の頃の父の状態にまで回復させるためには半年から1年かかると推定されます。通常経過時間の2倍から3倍の時間で回復していくのが私の経験です。これからの高齢社会に向けてアロマセラピートリートメントは、その家族の心そして高齢者の人々にかけがえのないメモリーそして癒しになるでしょう。

全ての人生は犠牲から始まります。そして生きて行くのです。私は、この言葉を心に唱えてそして祈り日々父との時間を過ごしています。

これからの高齢者社会この思いが無いと恐らく、日々生きていくのに不安と自信喪失で辛い人が沢山発生してしまうでしょう。認知症になると人々に見放されていく高齢者の人々と楽しく過ごす方法を社会に発生させると、自分が何時かもしかして高齢になって認知症になっても安心なはずです。

ALL OF Life is ……….? さてあなたは、全ての人生は何でしょうか?

 LOVE&LIGHT,

MIDORI

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The bridge of Sorrow とローズとフランキンセンスの香り

  • 2011.12.02 Friday
  • 07:40
 

122日金曜日 朝から小雨 温度5度

The Bridge of Sorrow


Sorrow, my children , is the teacher

That brings you closer to God.

It is God who creates the sorrows

and obstacles in a seeker’s life.

God employs selfish people as instruments

to make the seeker suffer.

A truly spiritual person views suffering

As a blessing ------ a bridge to God.

Without suffering

Spiritual realization is impossible

Those who suffer cry more intensely to God,

Creating a bridge for God to cross over .

Crying ou to God is certainly no misfortune-----

It makes the heart blossom.


( From Messages from Amma in the language of the heart.)


   
75歳認知症発症後2ヶ月以上が経過した。父の今の口癖はというか気が付くと私に投げかける言葉は、私と一緒に行った香港での思い出で福建省の占い師のお婆さんが父を占った時に言った事だ。父は、【俺は最後は、良い人生を歩めるって言われてたんだよ。だから必ず良くなるよね。】私は涙を流す心を抑えて、【そうだよ。お父さん必ず良くなるから、沢山食べてリハビリしよう。】

 こんな時、AMMAの詩集を思い出した。人間は、神とのかけ橋を得る為に辛い悲しい経験を人生していくのだという詩だった。私は、10歳の時から家庭や家族という事には悲しい思い出と辛い経験のが、いつも付いて来ていた。そしてこの詩を何度も唱えるように読んだ。そして、フランキンセンスやローズの香りを手に取り神に祈る。

1130日の木曜日は、暖かい11月最後の日だった。父の山王病院でのリハビリの日だった。父を迎えに急いで仕事の合間に行くと、父は目を開けてそんなの聞いてもいないというような表情をして、嫌々支度をヘルパーさんとした。目を硬くつむり体が硬くなり着替えにも乗り気でなかった!そんな父を頑張ろうよ!励ましながら、私はタクシーに父と乗り込んだが、案の定父の気持ちは乗り気でないのが継続して、待合の廊下で待たされている間、父の頭をリラックスできるようにネロリとフランキンセンスそしてフラゴニアなどでブレンドしたオイルでマッサージした。療法士の小川さんに会うと、また目を硬くつむり体に力を入れてしまっていた。そこで小川さんが大きな声で話しかけると、父は怒られているのかと勘違いして、【うるさい。】と怒鳴ってしまった。父は耳も目も良く。そこから、ますます悪い方向へとリハビリが進んでしまった。小川先生の前の患者さんが、耳が遠かったようで、彼は可成り大きな声でその後もついつい話してしまい父とのコミュニケーションが困難になり1時間が経過してしまった。今日のリハビリは、失敗?の連続であった。
 その後、父に【私が何か食べに行こうよ!】と言うと、【お佃が食べたい。】と言った。【この辺に美味しい所があるよ。】私がどこだか聞くと良く私の知らないところだったので、父の好物のカレーにしようと言って、ミッドタウンまで
2キロ位車いすで散歩がてら行く事にした。私には、11月にしては暖かく感じても父は、【寒い、チキショー】連続に後目の前がミッドタウンなのに【もう駄目だ。帰ろう。】と言う中後少しだからと言い聞かせ何とかミッドダウンに付くと、父は目をしっかり開けた。お父さんカレー屋に行くからと車いすを引く事約5分父は【まだ?どこまで行くんだ。】と何度となく聞いてくる。デリーカレー屋さんに入ると、私は父に何にするか聞くと、【お前が決めて良いよ!】と言った。貧血の父にほうれん草とパ二―のカレーとナンそしてマンゴラッシーをたのむと、23分しないうちから【まだか?もう帰ろう。】私の顔を見ては目をつむりそして【お前、目がそんなに大きいんだな。】と心に浮かんだ事を全て口にしていた。純粋な表現を父はし続けた。カレーが来て、一口食べると。【カラすぎる。】と言ってまた目を強くつむった。私は、【カレーはカライよ。】2口食べると父は目が覚めたように、マンゴラッシーと向後に彼を食べ続けた。店員さんが咳をしていたので私も急いでお会計を済ませて店をでた。その後、父にカレー~過ぎたかな?と聞くと【いや、そうでもない旨かったよ。】と言った。リッツカールトンのカフェで父の好物のショートケーキを食べて、【旨いよ。】を連発した父だった。そしてタクシーへと乗り込む間約2
分父は、【寒いチクショーもう駄目だ。】の連発だった。タクシーに乗ると、父の行きつけの藪そばの前を走ると、【そば食べたい。あそこの、】私は、【来週ではリハビリの帰り行こうか?】というと
【二〇〇〇円だよ1杯!】と言った。
そして父は、【今日は、結構外に長い間出て楽しかったよ。】と言ってくれた。良かった。なんだか本当に解りやい父の思いだった。タクシーの中でも私は、父にローズとオレンジそしてフラゴニア等のブレンドした香水を首や額に付けたりして、父の心にこもっている怒りを沈み続けた。長年怒りが心に溜まっているようだった。父はアロマセラピーを好み、今ではいつでも嫌がらずに進んで私のトリートメントを受けている。

   私は、
神様に香りと共にいつも日々父が少しでも回復する事を祈っている。



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MIDORI

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