あなたに会えて
- 2019.04.28 Sunday
- 01:33
4月27日 気温24度 雨上がりの朝
2日前に親愛なる友が旅立ちました。
夜12時から土砂降りの雨がカイルアは降り続き、その雨音と同じように私の涙が流れて止まらない。
胸が痛い程悲しい。
今朝目が覚めると、雨が上がり木々や蘭の花に大きな雨の雫が数珠玉のように連なっていた。
それは、まるで私の悲しみの涙のようだった。
家族に恵まれない私は、友達が私の人生の支えでいてくれていた。
そして、友達は私にとって、心の一番の宝でもあった。
彼女が亡くなった知らせは、カリーナを学校に迎えに行ってカイルアのディスリクパークで彼女が学校を終わるのを待っていた
車の中で、ラインを調べていて、京ちゃんと話してみようかとチャットを開けると、しなちゃんからのメッセージが
久しぶりに入っていて、メッセージを読むと。
『悲しいお知らせです。京ちゃんが今朝方亡くなりました。』
自分の目を疑い、何度もメッセージを繰り返し読んでる間にカリーナが車のドアを元気よく開けて私を見ると、
『What's wrong ? 』と聞いてくれたと単に涙が目から溢れてきた。
『親友が亡くなったの、ウエディングパーティーに2人の息子さんと来ていた。毎日一緒に瞑想していた。』
呼吸が苦しい位に涙が溢れていたが、家に運転して帰らなくてはならず、口から深く呼吸を吐いて気持ちを整えて
家までたどり着いた。
大切な親友がそれも前日まで毎日話していた親友が、目を覚めた次の日にこの世を旅立っていた。
2002年に彼女が初めて、大腸がんを発見したのが私のアロマセラピークラスで中医学とアロマセラピーのトピックの中で、
大腸の経絡が詰まっていると発生する症状の説明をしていた時だった。
彼女が、『全て彼女の症状にあてはまる。』と言ったので、私が勧めて直ぐに、 『病院で検査受けて』と言って、病院で検査を受けたら、直ぐに、
大腸がんの大腸癌が既に腹部のリンパに転移していた既に、その時点でステージ3であった。
癌摘出手術をして、飲用のアロマセラピーのカプセルブレンドを飲んで奇跡的にも、
癌から完治して、それからは、彼女が念願のアメリカシカゴの部署に抜擢されて息子達2人連れて住みだして
生き生きとより彼女らしく生きていた。その後、次第に上司からなどの仕事のストレスが高まった3年を過ぎた後辺りに、癌が再発した。
癌の再発
それでも、彼女は頑張って癌と仕事そして2人母そして妻の役目をこなし続け、彼女らしく頑張っていた。
話を聞いていると最大なるストレスは、やはり仕事であった。
仕事を辞めたくても、旦那様が賛成したいのと息子達を育てていく糧にならないといけないから辞められない。
ジレンマを抱えて、癌の治療と向き合っていた。
アメリカとの時差の為早朝5時からオンラインの会議やメールに対応しての癌治療だった。
若手の同僚には、膨大な仕事の量に弱音をはくと『癌の治療のために時間を費やしているから、仕事がはかどらないでは?』
と心ならない言葉言われてしまって、自分の病状を同僚には言わずに、より仕事に時間をかけて頑張っていた。
彼女がハワイの出張中、私の家に1泊だけ泊まってた日の次の日、夜の9時半から上司とミーティングをしていた。
2015年の6月からハワイに住んでいる私が、彼女を訪れると日本にいる時には、何時もラップトップを離さずに仕事の合間にアロマセラピーのトリートメントを受けていたのが再発後の2014年からずっと続いていた。
今年の2月の終わりに帰国して連絡を取り彼女の自宅を訪れると、げっそりと痩せて、
以前の彼女の見る影もなくなってしまっていた。
それでも、彼女は笑顔で何時も迎えてくれた。
浮腫がひどくて足首と膝が解らないくらい腫れて、歩けず、今年の2月私が帰国していた間、3日に一回程彼女に家に通い、ジュースをつくったり、免疫力強化用のスープをつくり、アロマセラピートリートメントをして浮腫も3回目には、可なり改善されていて歩ける用になり、病院の帰り新しい服を旦那様と一緒に行ったりして、少しずつ元気を取り戻していたようだった。
そして、会社の部署が自分一人の日本部門の部署で、仕事の引継ぎの事で頭が一杯だったようで、何時もその話をしていた。
私が、ハワイに戻り、病欠から求職に変えて、やっと落ち着いて話をする事ができて、
毎日人生の思い出話をしたり、少し元気になったら、家で1か月位休養して、毎日アロマセラピーで元気になろう。
そして、一緒にアロマティックジャーニーに世界旅行をしようと話しにもりあがっていた。
そして、時間を見つけては、一緒に日本にいた時に彼女の2月21日のバースデーにプレゼントした香水
『HOPE OF LIFE』の香りと一緒に瞑想をしていた。
時差の為、中々時間が合わずにいたが、合う時には、瞑想をしていた。
彼女は、瞑想をすると気持ちが安らぐと言って出来るだけ瞑想を一緒にした。
ただし・・・・
毎週末の化学療法で、癌細胞よりも彼女の身体の生命力が消滅していくようだった。
医者は、数字だけを見て腫瘍マーカーが落ちているから、このまま続行して毎週末の化学療法を継続した。
化学療法の副作用は、個人個人異なりその経過を医者は考慮せず全て数値で判断しているようだった。
私が、化学療法の副作用が強いようならお休した方が、良いのでは?
と提案すると、彼女は、『お医者さんが、検査の数字的は大丈夫だから、継続するって。』といっていた。
癌細胞を完全に消滅できないのが、目に見えている状態で何故、化学療法を推進したのかも疑問だ。
延命治療を優先するべきではなかったのか?
癌治療の医療には、多くの疑問が投げかけらる現代、この大きな課題を目の当たりした。
私の父の家系が、病院経営をしていた関係から、多くの医者たちの会話を聞いて通関している疑問は、
患者さん達を趣旨に考えている医者とそして自己の研究や実績を優先する医者がいると事だ。
癌と向き合うに合ったって、彼女のケースは、化学療法の副作用に賽の目されてしまったのだ。
化学療法の恐ろしさを目の当たりした。そして、彼女の命は、雨のしずくの様に消えてしまった。
53歳の誕生日を迎えて2人の息子の子育てもほぼ終えて、これから自分の人生を楽しむ時に
無念で仕方がない。
そして、悲しみの涙が止めどなく流れてくる。
今の心の安らぎは、ホワイトローズをブレンドした香水を作り(HEALING THE HEART )の香りと一緒に瞑想をする事。
そして、京ちゃんが天国で安らかに過ごしている事を祈りする事。
時は、走馬灯のように過ぎる。
時が止まった時にその大切さに気づく。
そして今は、日に日に、アルツハイマー型認知症のジョンのお父さんエドの表情が明るくなってきているので、
今朝は、エドの大好きな、オーガニックガーリックCO2オイルとブラックペッパー,ローズマリーバーベノンオイル入りの
クレソンのスープを作り、
脳活性オイル入りのジュースを配達にジョンのご両親の家に出前に行くために朝からキッチンで
お料理しながら、『少しでも元気な人を増やして行く事 』を、
そっと自分により強く心に約束した。
LOVE&ALOHA,
MIDORI