ロックダウンのハワイに無事戻った私は今!

  • 2020.03.30 Monday
  • 06:17

3月29日日曜日 気温24度曇り

 

N95マスクをつけて羽田空港にて

 3月15日にホノルル空港から羽田空港に95%満席のハワイアン航空のフライトで母と日本に戻った私は、

母の自宅と羽田空港以外は、外出をするのは近所のスーパーや郵便局、草加市の派出所、銀行以外は出なかった。

日本滞在期間は、8日間という短さだった。

その間、母の介護マネージャー以外とは、密接、話はしていない。勿論、私と母は、N95のレスパトリー付きのマスクを

して、アンチウィールスのディフューザーブレンドを部屋に炊いて30分程の今後の母のサービスの打ち合わせだった。

母は、段々現状を理解して来て、少しづつ協力的になってきたが、N95のマスクは、はめるゴムが煩わしいので、

通常の花粉症対策レベルのマスクで2回ほど近所の散歩を30分から1時間程した程度で、ソーシャルディタンスもほぼ

完璧に保ちながら散歩をした。

ソーシャルディスタンスで散歩

この時期、日本は、新コロナウィールス事態に2月の終わりより可なり、注意が鈍くなってきているようだった。

天気も暖かくなり、桜の蕾もほころび、自宅で子供を閉じ込めておくのはもったいない状態だったからだろう。

旧日光街道の松林には、子供連れや高齢者が皆散歩をしていて、マスクも売れ切れ状態の事情の中

マスクをしないで散歩や桜の木の下で子供たちを連れてピクニック気分でランチをしているママ友達もいた。

私は、なんだか普通で少しほっとしながら、心の奥で海外の爆発的な感染状態をニュースで見ていると

凄く不安にもなってきた。私は、マスクの変えおきが20枚日本にあり、それ以外にオンラインで50枚購入していた。

日本滞在中に10枚程母と一緒に使用したので残るは、60枚、この60枚を母がデイサービスで使い切る60日間以内に

パンデミックが収まる事、または治まらない場合は、市販でマスクが購入出来る事を祈りながら母の自宅を

急遽、ハワイがロックダウン秒読みの3月24日に戻る事を決意した。

実際、26日からのハワイのロックダウンが決まったのが3月22日だったので、ハワイアン航空の予約課が週末お休みで、

ジョンがアメリカの予約課に電話したら4時間ホールドされて切られてしまい、途方に迷った私は、

以前勤めていたユナイテッド航空の先輩にラインで連絡をすると、直ぐに連絡が入り、涙ながらに先輩は、羽田空港のハワイアンの

カウンターまで行って問い合わせてくれたが、なんと私の予約はJLと共同運航便の為変更ができないと言われてしまった。

先輩は、ユナイテッド航空の最終便ハワイ行3月24日にスタンバイ最終的にするしかないかもと提案してくれた。

ユナイテッド航空は、3月25日以降の欧米行フライトを全て欠航としていた。

ハワイアンがどのようなスケジュールになるかは、サイトには何も書かれていなかったのでより不安が募った。

そして、私は、先輩の、心温まるありがたい言葉に感動しながら、不安な気持ちで週末をこし、月曜日の朝予約課があく

9時15分ぴったりに予約課に電話をすると、13分ホールドされて10分で予約の変更を無料で、待ち時間入れて23分で全ての変更手続きが完了した。

 

新しいフライトは、HA435便3月24日火曜日の夜9時20分発の到着朝9時50分の

フライトに変更ができた。流石日本人あっという間に手続きが完了。

しかし9時15分ぴったりに電話しても13分ホールドされるとは、何百人の人が、秒読み状態で一声に電話をかけたのか?驚嘆した。

実は、アメリカのハワイアンの予約課で前回予約を変更した時に4時間かかって差額と変更ができたのだった。

やっぱり、日本の素晴らしい所は、迅速にそして効率的に手続きが完了できる。

 

これは、海外に住んでいないとわからない、日本の素晴らしい所だ。

日本は、特別な国であると誇示して良いと思うのは、揺るがない真実である。

 

先輩には、お礼に先輩の高齢のお母様と一緒に使える。

免疫力強化用マッサージローションとアンチウィールスのディフューザーブレンドを2-3か月分用意して月曜日に郵送した。

 

母に私の出発は29日日曜日から24日火曜日に早まった事を伝えると、

母は、『良かったね。帰れて! ジョンとカリーナ、マーサとエドによろしくね。』と笑って言ってくれた。

 

私は、『わかった。伝えとくね。お母さんも、頑張ってね。』と母に言った。

 

火曜日の夕方、草加駅東口で羽田空港行のバスを待っていると、

其処には、2人の30代初めの女性友達と3人の60代後半の女性1人と男性2人が国内旅行の為バス停で待っていた。

なんと全員マスクなしで現れたが、私が、凄いマスクをして待っているのを見て、

若い女性2人は、ポケットから新しいマスクを取り出してマスクをした。

高齢者の3人組は、女性が黄ばんだ使い古しのマスクをポケットから取り出してマスクをしたが男性たちは持ってなかったのか

マスクはせずにそのまま待っていた。マスクが無いから仕方なくしないのかもしれないと私は、推定していると。

高齢の3人組は、感染したら死ねば良いから、と軽々しく3人で話していた。

そして、余りにも遅れるているので、京急バスに電話をすると、なんとバスは、予定より交通渋滞の為、30分または、それ以上遅れていると言われたので、草加駅から羽田空港までの交通状況を聞くと、高速道路は通常とうりだから7時過ぎには羽田空港に着くと推定してくれた。

可なり早く出たのに、これでは、ぎりぎりかもしれないと焦る気持ちを私は、深く深呼吸をし心を落ち着けてて待っている間。

皆が皆、こんな寒い中外で待たされてしまったら、コロナじゃなくても風邪をひいてしまうと言って。

交代で近くのスーパーの中でバスを待っていた。

本当に、日本人の協力的な思いやりは素晴らしいと感動して横目で見ていた。

私は、一人大きなスーツケースが2つもあり

スーパーまでは、バス停から50メートルはあるので、薄着の私を見て寒がっているのを見ると、若い女性が気遣ってくれて、

『荷物見てますから、少し頭って来てください。バス来たら呼びに行きます。』と言ってくれた。

私は、ハワイに行くし15分位外で待っても大丈夫かとパーカーとウールのタートルネック洋装でジャケットを敢えて着てなかった事に反省しながら薄着で体の芯から寒さが出てきたので、言葉に

甘えて寒空の中40分待った末、女性の言葉に甘えてスーパーの中に入った。

すると10分程して、バスがやっと来た。バスは、なんと予定より50分遅れて5時55分に来た。

平日の火曜日それも24日だから大丈夫だと推定したのが間違いで、ラッシュアワーの夕方5時代だからか

日本でも電車を避けて自家用車移動が広まっているのか、凄い交通渋滞だった。

携帯で渋滞状況を調べていると、都内が銀座付近が渋滞している。

羽田到着時間は推定8時となっている。

ハワイアンのフライトの搭乗時間が8時20分だから可なりぎりぎりだった。

ジョンにメールして間に合わなかったら、ハワイアンの次の便に変更してもらう事にすると連絡した。

バスの運転手さん流石に慣れていて、羽田空港の国際線ターミナル3に着いたのは、なんと午後7時13分

私は、余裕で間に合うとホッとしながらバスの運転手さんに、『ありがとうございました。』と言って下車すると

冷たい風が肌を刺すようだった。

カートをアルコールベースのウェットティッシュで吹いてから大きなスーツケース2つと手荷物用のスーツケースの荷物を積んだ。

国際線羽田空港のターミナルは、人が2-3人歩いているだけだった。

出発階へのエレベーターも私だけだったが、押しボタンをウェットティッシュで吹いてから出発階のボタン押して上がった。

出発階には、1階よりも7-8人の人がいて、皆マスクをしていた。

そして、勿論N95のマスクをしている人もまばらにみられた。

可なり、準備して国際線に乗る人達がそこにいた。

ハワイアン空港のカウンターの人は、全員マスクをして対応してくれた。

COVID−19の為、勿論プリチェックインはできず、カウンターでは、過去2週間以内に欧州、イラン、韓国、中国などへの渡航歴があるか聞かれた。

厳重なチェックインのシステムにほっとした。

席を指定してあったが、カウンターで、ソーシャルディタンスを保てる窓側をリクエストすると、

36Jの席で前後横誰も座っていない席をもらって、ホッとして、ゲートに向かう。

セキュリティーチェックもほぼ人はいない状態だった。

常にソーシャルディタンスを守れる状態でゲートまで行くと、途中にお土産屋さんとドラッグストアーの免税店を見つけた。

そこに、なんとマスクとアルコールベースのウェットティッシュが販売されていた。

マスクを母に送ろうかと思い7枚入り420円を3点手に取ると、張り紙に、一人1点と書かれた注意書を見て残念だけどこのご時世

仕方がない、手に1点づつだけ取り購入した。

ゲート145は、セキュリティーチェックポイントから10分程歩いた場所にあった。

ひとが殆ど以内空港内を歩き、ゲートにエスカレーターで降りると、そこには、搭乗者はほぼ100%

外国人、ハワイのローカルの人と恐らくホノルル経由でメインランドに乗り継ぎの人達がほぼ80%フェイスマスクをして

椅子に座って待っていた。何時もホノルル便は100%に近い搭乗率なのに見た限りでは、30%ほどの搭乗率だったのでほっとした。ホノルルからの便は、ほぼ満席で日本人が99%を占めていた。

搭乗すると、テーブル、スクリーン、窓、ひじ掛け、椅子の頭を持たれる個所を全てウェットティッシュで消毒してからアンチウィールスのスプレーで足元などウェットティッシュで消毒できない部分をミストしてから座った。

ホッとして、ジョンにフライトに無事間に合った事を告げて、窓を見て、離陸するとそこには、東京の美しい夜景が見えてきた。

 

一軒何も変わっていないのに、目に見えないウィールスと世界中が戦争をしていて、この戦いに世界中が足並みをそろえて

戦っていかなくてはならない世界に変わってしまったのだった。

 

そして、私は、ホッとしたと同時に急に眠気が出て来て目を閉じてしまった。

 

気が付くと、機内のアテンダントは、手袋とマスクを全員使用していた。

そして、機内サービスが終わっていた。

私は、売店で販売されていた水とアンチウィールスブレンドのカプセルと安眠用ブレンドのカプセルを飲み、また眠りについた。

飛行時間は、6時間55分追い風が強い冬は、あっという間にホノルルに着く。

気が付くと、ホノルルに後40分で到着のアナウンスがされていた。

 

飛行機の羽の下にビックアイランドが見えてきた。

 

『あーもう直ぐ、カイルアの家に帰れる。』と思い油断大敵、消毒キットをカバンの一番上に入れて、

他をキャリオンスーツケースにしまった。

 

小さい頃のOCD(脅迫感念症)が戻ってきてしまう様だった。

私の父もかなり、OCDで1999年に初めて香港に父と渡航した時に、中国は汚いからとホテルで変換した香港ドルを

コインと紙幣全て洗っていた。紙幣は、ミラーに張り付けて乾かしていたくらいだったのを脳裏に浮かべた。

私も9歳までOCDの毛があったのだが、母が可なり大雑把な人だったので、段々母の影響で気にしていても切りが無いと諦めて

OCDから急にい大雑把になってしまったのだった。

しかし、今回のCOVID−19の場合は、OCDでなくてはならない事情が存在する。

 

ホノルル空港に着くと、やはり50%の割合でマスクをしている。

8日前の空港は、20%の割合でマスクをしていた。この1週間で世界がどんどん変わって行っている事は確実である。

イミグレーションの人は、マスクをしていなかったので、自分がマスクをとるのを不安に思いながら、

仕方なく写真を撮る為にマスクを

外しては、手をアンチウィールスのスプレーで消毒した。

イミグレーションには、ほとんど人は並んでいない稀な状態であっという間に通関が終わった。

何だか、不思議な程スムーズに通関を済ませて、ジョンの車を待った。

ジョンが私を見つけると、手を振って挨拶をしあった。

スーツケースをアンチウィールスのスプレーで消毒してから車に乗せてた。

ジョンも可なり変わっていて、何時もは汚い車の中が綺麗になっていた。

私は、ずーとマスクをして、話をしながら、後2日でハワイに到着する全ての人の14日間のクオランティーン(自宅またはホテルで待機)が始まる事を説明された。ロックダウンだから、買い物には行かれるけど家族の1人だけが代表して行く事になっていると説明された。この指示に従わないと、5000$の罰金または禁錮刑1年だそうだ。ジョンは、弁護士なので

この指示に従わなくても良いが、必ず弁護士のIDを所持して行動しなくてはならない。

家から出ないのは、私は、かまわないけどと言うと、買い出しは私の役目だからと言われた。

今まで、日本とハワイを移動して対応になれているから、マスクして買い出しすれば良いよ。

と言われて、食材にこだわる私は、買い出しの役目を買って出た。

 

家に入る前に、全てのスーツケースを玄関の前に置き、今度は、アルコールベースウェットティッシュで消毒してから玄関に入れて、全てを消毒したら、直ぐにシャワーを浴びた。

シャーわーをユーカリとローズマリーのボディーソープで入り、免疫力強化用ローションを付けて、アンチウィールスのカプセルをジョンと一緒に飲んだ。、

そして、ジョンの入れた美味しいカプチーノを飲んでから、

私は、ホールフードに買い出しにN95のマスクをつけてから車を走らせた。

ホールフードでは、消毒用のウェットティッシュが品切れだったので、私は、自分のでカートを消毒して入ると。

8日前は、誰一人マスクをしていなかったのが、やはりローカルの人達働いている人含めての45%がマスクをしていた。

私は、すこし安心して買い物を始めると、やはりトイレットペーパーはなかった。

クリーニング用のアルコールベースのジェルもなく、ピーナッツバターやライスは完売私の好きなオーガニックアーモンドバターも完売だった。仕方なく、カシューバターが残っていたのでカシューバターを買った。

チップス類、パスタ、バター、豆腐もほぼ無かった。

新鮮な野菜と果物や肉類は、何時もの様に豊富にあったのでほっとした。

何だか、本当に世界が毎日変わって行く事に気がづいてく。

島に住んでいる人達は、不安が募る。

 

現在オアフ島の感染者は175人、8日前は、3−4人だった。検査をしていなかったからだ。

検査をしなければ、感染者の数は見えない。

私も検査したいが、検査は症状が無いとできない。または感染者と密接な関係がないとハワイではできないからだ。

日本とほぼ同じだ。

つまり、軽症者、または無症状の人達が感染源になって行く。

この人たちが、自宅に14日間待機してくれていれば、自然と感染は抑えられるが、実際に私も含めて

症状が無くて、移動を沢山していると不安が心の中に募る。

人と接触する時は、マスクをして感染するのを防ぐのと感染させるのを防ぐしか方法がない。

つまり、自由が14日間またはそれ以上、束縛されるのである。

今、日本とハワイを往復した私は、常にマスクをしている。

自宅でも自分のアロマセラピーの部屋で隔離状態である。

カリーナもジョンも私が感染していると不安な中今私ができる事は、自宅で自分を隔離する事しかない。

ロックダウンのカイルアダウンタウン

 

カイルアビーチも進入禁止

家24日の変えると、カリーナが私を『コロナ』と呼んだ。

こんなに気を付けているのに、やはり私が一番危ない人になってしまった悲しさが心にある。

 

実際、私は、2月1日にワイキキにお金を両外資に為替のレートも良かったので、一人で車で行った時に、

両外のカウンターで対応してくれた女性が、乾いた咳をずーとマスクなしにしていただった。

私は、無防備にもその時不安が頭によぎっていたので、車に戻り、車内にあった水で手を洗い、

唯一持っていたペパーミントのいるを舌禍に1−2滴たらした。

そして、帰宅して石鹸で手を洗い、うがいをティートリーのハイドゾルで行った。

そして2−3日後いきなり倦怠感が体中に走ったのだった。

その日から、アンチウィールスのオイルをブレンドしてカプセルに入れて1日3回飲用を始めた。

オイルを飲んで2−3時間は、倦怠感が少し良くなっていたがオイルの効能がきれるとまた倦怠感に襲われていた。

そして、6日目辺りから乾いた咳が少し出てきたので、2時間に一回飲んでいると1−2日経つと咳は全く出なくなった。

しかし、何故か倦怠感が抜けず、すこし息苦しさもしてきたので2月8日は朝からずーとオイルを飲む以外はベットで寝ていた。

この息苦しさは、アスペンのAベースンに行った時のスキーをして標高が高い中運動をしていると空気を吸っても吸っても

苦しいこの苦しさを思い出させるものがあった。今回は、運動も何もしていないのに寝ているだけ息苦しさがあったのだ。

9日の朝目を覚ますと、倦怠感がすっきりと抜けている事に気が付いた。

すこし、ヨガをしてみたりしたが、食欲もなかったので力が入らず15分もしないで止めた。

アンチウィールスのブレンドは、そのまま3−4時間に一度飲んでいた。

2月13日には、倦怠感も完全になくなっていたが、喉の奥からの鼻水の様な液体が鼻はつまらないが、流れて来ていた。

そしてこの粘液は、吐いても透明でサラサラしていた。ただ常に流れ落ちていた。

私は、この症状が丁度なくなったのが、3月13日だった。

これは、ドイツのリサーチの例に合っている。

感染してから完治するのに4−5週間平均してかかる検証例が出ている。

これを、ジョンに伝えたら、ほぼ信じてもらえなかった。

COVID−19のL型とS型どちらかにもしもこの時感染していたら、どちらかに抗体ができて居るか少し安心だと

冗談で言っていたくらいだ。

先ず検査ができないから何も証明できないが、この2月3−5日日本人の夫婦がワイキキに滞在していて帰国後

COVID−19の陽性が判明された。時期が時期なだけに、私は、不安だったが。

もしも、2月の時点で私が感染していたのがCOVID−19で合ったなら、この症状は気がつきにく、恐らく

普通の人は、普通に働いてそのまま、疲労が溜まってるのかな?と思ってしまうだろう。

私は、何時も健康には敏感なので、少しの変化に気づき対応してきた。

ハワイで倦怠感に襲われた事は、一回もないし、楽園生活なのでストレスは無いから倦怠感が出てくるはずがない。

高熱も出ないし、軽い風邪か?インフルエンザかなで終わってしまう。

但し、インフルエンザにハワイで感染した事があるが、インフルエンザの方が痰が絡み咳がでて凄く苦しかった。

今回の場合は、本当にそこまで酷い咳が出てこなかったし、直ぐに止まってしまった。

異様な倦怠感が出てきたのが特徴だった。

 

そして今、日本の草加にいる母と電話に出て、私がカリーナとジョンが私を疑ってるから自己隔離していると言ったら、

『みどりが一番初めから気を付けていたのに、おかしな話ね。でも仕方ないからお部屋でじっとしてるしかないわね。』

とびっくりするぐらい母の脳が働いているので安心した。

そして2月から私と母がソーシャルディスタンスを保ち、外食もせず頑張っていた結果がでていて、

母79歳は、ハワイの3か月の滞在移動を感染もせず元気に過ごしている。

今日から母もハワイから到着して14日間だったので通える。

私も14日間自宅のアロマセラピーの部屋で隔離生活を頑張るしかない。

しかし、何故か買い出しは、私が行かなくてはならないのが腑に落ちるけど。

こればっかりは、仕方ない。

ジョンとカリーナへの思いやりで、買い出しは私が行きます。

 

勿論、義理の両親の分も私が、買い出しに行くのです。

 

LIFE IS HARD BUT WE CAN DO IT !

 

日本の皆さんも頑張ってください。

世界中の人が頑張っています。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

P.S オイルのご注文は、当分ハワイからの空輸になりますのでご理解ください。

アンチウィールスディフューザーブレンド・免疫力強化用ブレンドローション・アンチウィールス内服用ブレンドのご注文も受け付けておりますが、これらのブレンドは、ウィルス防御用のブレンドなので感染後は、お医者様にご連絡下さい。

またタミフルなの副作用を緩和するブレンドなども検証例があるオイルがあるので作成可能です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

COVID-19 の終息ピークが見えない中高齢者の母と日本に帰国、可能な限り今できる事は?

  • 2020.03.18 Wednesday
  • 08:27

3月18日 (水)晴天 気温9度 朝

 

 世界中が不安と恐怖の新コロナウィールスへの対応を試行錯誤しながら対応をしている中

母79歳と共に9時間程のハワイホノルルイノウエデイヴィット空港から羽田国際空港へと飛び立った。

母は、認知症があるので世界情報を把握する認知力は、低くいので、全ての責任は私に課せられていた。

今後春休みに入り、ハワイは本土から多くの観光客が、感染源となりうるので母をハワイから避難させる事が

第一だった。

 

出発の日カイルアの気温は、26度湿度は68%曇りそして、凄い勢いのシャワーの雨の中の出発だった。

ハイウェイ3号線(H3)は、霧がかかりカイルアから新緑のジャングルの山並みからは、白い滝のラインがかかり

母が、【こんなに雨が降り続けるハワイは、初めてね。】と無邪気な子供の様に言ったことをジョンに言うと

ジョンが、【ハワイが、美紀子さんがハワイを離れてしまうのを悲しがって泣いているんだよ。】と優しく対応してくれた。

母にそれを、私が訳して伝えれると、嬉しそうに微笑んでいた。

デイビットイノウエトンネルの手前で、2車線が1車線に成っていた為に、スピードが落ちてH3では、稀な渋滞になっていた。

人混みの空港での待ち時間を最小にする為に、ぎりぎりに出てきた私達の心に一瞬不安の空気が流れた。

トンネルの中にゆっくりと入って行くと、ブルーのトラックが事故を起こしていた。

そして、それを見たいが為に、車がゆっくりと走行していたのだ。

事故のセクションを過ぎると渋滞せずに走行でき、不安は解消された。

トンネルを抜けると、雨脚は弱まり日差しが照り付けてきた。

そして、何時もよりスピードを出してジョンが空港へ向かうと、アロハスタジアムを右手にして空港へ向かう

緩やかなカーブに、ハワイアンマングースがいきなりハイウェイの道に走り出てきた。

今まで一度も、ハワイアンマングースをハイウェイで見たことが無い私は、唖然とした瞬間

ジョンがよけようと、ハンドルを少し切ったとたんに、ハワイアンマングースが車に気づき逆走した瞬間

『ドン』という鈍い音が、タイアの下でした。

ジョンが、初めて動物をハワイで弾いてしまったと苦虫を潰した様な顔をした。

私も、同様に可哀そうなハワイアンマングースが天国に行かれるように祈った。

それは、高齢の母がCOVID−19に感染する代わりにハワイアンマングースが命をサクリファイズしてくれたサインかも知れない。

 

 空港に着くとジョンと別れを日本式にお互いにお辞儀をして惜しみ、N95のマスクをしてカウンターに歩いていった。

N95のマスクをして機内に乗り込母と私

荷物も最小限にして母は、一番小さいスーツケースを引きながらゆっくり歩き、私は、2つの大きなスーツケースを引きながら

なるべくいろんな所に触らない様に歩いて行った。

母の底時からは、よくわからないがシルバーカーを使って歩くのがやっとの母は、キャリオンスーツケースを

引きずりながら、よたよたと進んでいる。

カウンターに先に行くと2−3人の人がチェックインしているガラントとしていた。

車いすのリクエストを係の人にお願いいしてから、アルコールで手を消毒し、母の所に急いでいき母の

荷物をとり、母の手を消毒してから手を取り二人でカウンターに行った。

日本行のハワイアン空港のカウンターの人達誰もフェイスマスクはしていなかった。

私達だけがN95のマスクをしているだけだった。

日本人の乗客の人達は殆どが若者で、暑いのでマスクを顎にしてたり鼻を出したりしていた。

私は、母の感染を最大限に制限する一方で恐らく、私達の異様なマスク姿は人々を不安にしたかもしれないが、

母の様な高齢者ほ、空港内の人口の1%に過ぎないので私は、仕方ないとして空港内のセキュリティーに入ると

やはり5%の割合の人が、布や通常のマスクをしているだけだった。

係の人達も誰もマスクはしていない。

ただし、空港内の25ml程に必ず消毒用のアルコールがアクセスできるようになっていた。

ハワイの空港は、待合室以外は、ほぼオープンエアーで風が吹きトロピカルフラワーの香りが漂う平和な環境だ。

係の人は、医療用の手袋をしているのは、通常のプロットコールなので特に変化はなかった。

 

私達は、羽田行のハワイアンは以外に混んでいるようで待合質は、混んでいたので人混みから離れた待合室の席で

搭乗手続きを待った。

母は、N95のマスクが普通のマスクでないので気に入らないみたいでとりたがった。

私が説明しても中々理解できないようだった。

車いすの母と私は、早めに登場し席に着くと、私はアルコールの消毒ペーパーでスクリーンと

座席のハンドルとテーブル、窓を消毒して母が触っても安全になるようにした。

そして、アンチウィールスブレンドのスプレーで母の手を消毒した。

 

機内は、ほぼ満席で90%の席が埋まっていた。

日本人が80%で10%が恐らく海外からの旅行者かまたは、日本に住んでいる外国人のようだった。

異様なほど機内は静かで、誰一人咳やくしゃみをし続ける人はいなかった。

母は、遠足の小学生の様に機内で大声で色々な事を私に聞くので、機内では母の声だけが聞こえているようだった。

トイレに近い母は、離陸すると直ぐにトイレに行きたいと言った。

私は、まだシートベルトのサインがついていて、母が足元もが定かでないからまだもう少し待ってと言った。

 

ここで、皆さんに一つのドイツのサイエンティストの実験結果をお伝えします。

感染経路を研究する為に、感染者の鼻と喉そして血液、リンパ液、尿、便からCOVID−19のRNAの

摘出検査をした。

鼻、喉、リンパ液からCOVID−19のRNAの検出が一番多かったのが、

感染後咳やくしゃみがでる凡そ6−8日間でこの期間が一番感染力が高く、

そして、この期間は、無症状から咳、くしゃみなどの軽症の期間である。

そして、感染者は凡そ37日間ウィールスが体内に存在しその間に抗体を体内で作られて行くので一旦陰性になって再発した場合は、RNAの感染力が無い事になっている。

そして、便、尿からはRNAは検出されていなかった。つまりトイレでの感染は、低減される。

勿論、トイレで咳やくしゃみの飛沫があれば、感染する可能性はある。

肺炎になると、RNAは肺の細胞に入って行くの感染力が低下するそうだ。

その為、軽症または無症状の人達が、感染を拡大しているという論文でだった。

ただこれは、ドイツでの検証結果で、他のRNAは検証していないの全てのRNAの検証が必要だと最後に記していた。

 

勿論、このは限られた検証例だが、多くの感染の拡大のまたは、感染者が症状が消えてからまた、再発する事に

説明がつく。

 

米国のサイエンティスト検証では、プラスティックスティールなどでCOVID−19のRNAが約36時間

存続するので、段ボール箱が24時間、その空気中では30分から3時間存続する可能性が高い為感染力が

サーズやスワインインフルエンザより可なり高いウィールスであると論文が出ている。

 

とにかく、消毒や手洗いをするのが一番の基本のプロットコールである。

 

機内サービスが始まると、添乗員は90%マスクと手袋をしてサービスをして、飲み物の容器は必ず新しい物を使用した。

 

母は、トイレが我慢できず、タービュランスが少し落ち着いてきたので、私は、母の手を取りトイレまで行った。

トイレ内をアンチウィールスのスプレーで消毒してから、母を入れて、一緒に母と石鹸で手をしっかり洗い、

また母の補助をしながら席に着き、母と私の手と靴をアンチウィールスのスプレーで消毒した。

 

機内のサービスが始まったので、N95のマスクを外し飲み物を飲んだ母は、サービスが終わっても

マスクをしていない他の人達を見るとマスクを大声を出して嫌がったので、私は仕方なく母が好きなようにした。

サービス後2−3人の日本人の乗客がマスクをしているのを見ると、母は、『マスクしないとね。』といって

N95のマスクをする事にした。

私にとっては、ほぼ90分事に母がトイレを行くのと、

母が大きな声で残りの飛行時間を20分おきに聞いて同じ質問をしてくる。

一睡も休むことができない9時間の私の拷問の時間がまるで、私の一生を示唆しているようだった。

 

母の認知症は、母の昔からの自分の独断の気質が増して、自分の意思を通す。

昔は、記憶力が高かったので、情報源と自分の感が辺り、母子家庭で社会的にも成功していたのだった。

ただし、今記憶力があったり無い状態でこの感がほぼ99%当たっていないが、独断の気質はそのまま継続している。

つまり、頑固な御婆さんのだ表なのだ。

全て、介護も命令口調で私には、通す。

次女の私は、常に日本の文化の目上の人のいう事を聞くに、従順してきた。

 

この、拷問の様な人生は、ハワイに住んでから解放されたのだった。

 

しかし、母と一緒の時間は、この拷問の様な時間がまた再回するのだった。

 

姉も良く私に、『お前は、私の奴隷だから、いう事を聞かないと罰を与えるから。』と言っていた。

 

私は、今はただ一人の人間としての義務を果たす為に、そして母が一人の人間として最期まで生きられる様に

義務を果たす行動をとるだけだ。勿論、母と娘の愛は、そこに普遍的に 一重存在する。

 

機体が羽田国際空港に午後7時35分に着陸した。

羽田空港に着陸すると、私達を含めて日本人の乗客は全てマスクを着装していた。

機内の通路を椅子をつかまりながらよたよたと母が下りると、母の車いすが待機していた。

車いすに乗り、母の手をアンチウィールスブレンドのスプレーで消毒した。

車いすでゆっくりと進んで行くと、ほぼ99%の人がマスクをしていた。

乗客や乗り継ぎの人々のマスクをしながら不安な顔をして歩いていた。

 

検疫の所は、イタリアの北部からとサンマリノマルタ地方の入国者の場合の別の通路が設けられていた。

 

それ以外は、ガラントした検疫と入国審査をほぼ並ぶ事無く通過していた。

預けた荷物のとりにカーセルに行くと、私はカートの手を消毒してから握った。

税関もパスポートを見せるだけでそのまま通過して、私達は、到着階に着いた。

がらんとした、到着階にいる人はまばらで、皆マスクをしていた。

そして、多くの外国人を乗せている羽田空港からのタクシーよりバスが安全ではないかとジョンと結論を出した私達は、

夜の羽田空港の冷たい風が肌を突き刺さるように感じながら、

バスに乗り自宅近くの草加駅東口行の京急バスに乗った。羽田から草加駅東口行のバスは、通勤に利用している人が

ほぼ80%を占めていた。

 

草加の駅に着くと、母は、高い階段を降りるのが難しかった為、私は、母を抱えて階段を下車する補助をした。

バスを下車すると、母にまたキャリオンのスーツケースをゆっくりでいいからタクシー乗り場まで歩いてとお願いすると、

母は、びっくりするぐらい正気になり『 頑張る。』と言って、よたよたとキャリオンスーツケースを引きずりながらタクシー乗り場まで歩いた。ここは、母の強い意志に感謝しながら、私は、急いでタクシー乗り場まで歩いて、母の所に戻り

母の手を取り、キャリオンスーツケースを引きながら2人でタクシー乗り場まで歩いた。

タクシー運転手は、ハワイから来た私達を不安な気持ちを自宅まで送ってくれた。

 

自宅に3か月振りに帰宅した母は、ホッとした用だったが、自宅の玄関で母に先ず

アンチウィールスのスプレーを頭の先から足の先まで吹き替えてから、オーバーを脱がせて、

自分にも同様にスプレーして、スーツケースにも吹きかけた。

母が寒いから、着替えを嫌がる中、ガスストーブのスイッチとガス湯沸かし器のスイッチを入れる間

母がコンセントなどを入れようと家じゅうを触る中、

手と洗顔、入れ歯の洗浄を石鹸でしてから、パジャマに着替えてもらって、アンチウィールスのカプセルを飲ませてから

母をベットで寝てもらった。

母がベットにテレビを見ながら横になっている間、私は、お風呂を洗ってからお風呂を入れて、

家中の母が触った場所を、アルコールで消毒してから、私は、ラベンダー、ティートリー、パチョウリ、パロサントのお風呂に入り、深い眠りについた。

 

次の日、私は、母に朝アンチウィールスのブレンドのカプセルを飲んでもらった。

母に、体調を聞くと、『大丈夫よ。』と言った。

 

帰国から一日が過ぎてとりあえず、今の所体調に異常がない高齢者の母である。

 

 

新コロナウィールスは、今後何時終息するかわからない不安な状況で、私は、

スワインインフルエンザとサーズで検証されてアンチウィールスの検証例があるエッセンシャルオイルのブレンド使用して

自宅待機しております。

 

今回の日本滞在は、政府また、WHOの指示とうり、外出を避けて可能な限り自宅待機いたします。

そして、米国の状況により郵送がハワイからになる事をご理解下さい。

日本にいる間にご連絡があり郵送が間に合う場合のみ日本からのご郵送料金になります。

 

エッセンシャルオイル等のブレンドまたは、コンサルティングなオンラインまたは、お電話でのお問い合わせになります。

アロマセラピートリートメントはCOVID-19の状況が終息するまで中止させていただきます。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

info@argutha.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の状況が毎日変化している2020年3月

  • 2020.03.02 Monday
  • 07:31

3月1日 気温25度 晴れ時々曇りとシャワー様な雨が降るカイルア

 

ラニカイビーチからの朝日

 

 日本に帰国するのを残念ながら延期しました。

 

 

 石川県のフランスから帰国した男性が無症状で感染が陽性が出たニュースを読み。

この無症状の男性が感染源になっているかどうか未だに結果が出ていない。

中国でも同様に20歳の武漢省から帰ってきた女性は、無症状で家族全員が感染したが、この女性は無症状

のままである。というNYタイムスの記事も読んだ。

このウィールスに侵されない自己免疫能力を持っている人がウィールスを保持した場合、他の人にも感染させる疑惑がでている。

 

今実際に、どのように感染して行くが研究されている現在進行形のウィールスだ。

 

 

そしてそんな中、ハワイの家族が、高齢の母の事を心配しそして、トランプ大統領がイランと韓国からのアメリカ入国を

禁止したため、万が一日本の今の状態が変わってきたら、日本に渡航した人のアメリカ入国拒否をするのではないか?

と言う不安もあり、私がハワイに入国できない可能性が高まってきたからだ。

 

日本政府も日本国民も真剣に今の状況をとらえているので、今後は終息して行くと私は、楽観考していたようだっと

自己反省しながら、日本帰国の予定を変更した。

 

恐らく今回のCOVID−19は、世界的に新しいウィールスの研究結果が理解できない限り

トランプ大統領は、今が良ければ良い戦法で制作を大統領の勝手な権力を使って決めて行ってしまうかもしれない。

 

アメリカ本土でも、海外に渡航していない感染源が解らないオレゴン州在住の50歳の女性がCOVID−19で亡くなっている。

 

アメリカは、日本の様な健康保険制度が確立してないから、恐らく重症にならないと病院に行かない可能性ががる。

軽症の人が多くの人達に感染を広めて行く可能性が高い。

 

本当に、真剣に世界中がこのウィールスを撃退しなくてはならない。

 

 

P.S ハワイからオイルをご発送する事も可能なのでご注文される方は、

info@argutha.com までご連絡下さい。

 

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

 

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< March 2020 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM